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泉美木蘭
2019.1.30 11:12日々の出来事

母親と息子と男

なんとなく、20代の頃に出会った二人の男性を思い出した。
二人とも、母ひとり子ひとりの母子家庭で育っているのだけど、
どちらも4年生大学を卒業して、きちんと働いていた。
生い立ちについて話した時、ふたりとも同じようなことを言っていた。

一人は小学生の時にお父さんが亡くなって、
一人は中学生の時にアル中のお父さんと離婚して・・・
という理由だったけど、やがて母親に付き合う男性が現れて、
それがすごく自分は内心で嫌だった、と。

一人は、たびたび家にやってくるその男性が母親に生活援助しているのを
なんとなくわかっていて、男性が自分に高価な誕生日プレゼントを買って
くれたりもしたけど、素直に喜ぶことはできなかったと言っていた。
まして「お父さん」とは呼ぶ気になれず、ずっと反抗的な態度をとって
困らせていた、と。
でも、自分が働くようになってから、あの頃、母親の仕事だけでは
とてもじゃないが自分を4年生の私立大学には入れられなかっただろうし、
母親はなにも言わなかったが、かなりのお金があの男性から出ていたのだろう、

ありがたいとは思うし、自分に事実を黙っている母親の気持ちも感じとれる。
でも、簡単に割り切れない複雑な気持ちがあるんだ、と。

もう一人は、母親の恋人となった男性と3人でしばらく同居して、
家族らしく過ごし、険悪にはならなかったようだけれど、
その「険悪にならない」ことが、息子としては逆に息苦しく複雑な心情
でもあり、大学進学からひとり暮らしをするようになったと言っていた。
それがまた母親の心苦しさにもなって、母子関係がもつれやすくなり、
いろいろあったようだ。

こういう話、私の立場ではすごく言いづらいんだけど・・・。
「息子」と「父親でない男」というのは、ただでさえ男同士、
そう簡単に和をなすことなどできないのが普通だと思う。
もちろん娘でも。
両親でない異性という存在には、難しさがつきまとうだろう。
思春期なら一触即発、ということだっておかしくないと思う。

そして、子供のそんな心情を母親は感じ取って痛みを抱え続けながら、
とにかく育て上げて、立派に食えるようにするためには、ということを
考えて必死で立ち回っていくんじゃないかと思う。
その過程で、空中分解してしまう親子関係だってざらにあると思う。
子供は、成長して親の苦労が理解できるようになるかもしれないけれど、
それによってますます複雑な思いも抱く部分があるだろうし、
あまり早くに現実を理解してしまうと、今度は子供らしい健全さを失う
というような、目に見えない問題もひそかに起きたりする。
決して他人が軽々しく勝手につべこべ言えるものではないと思う。

小室圭さん親子のことを、この話と勝手につなげるのは良いことでは
ないと思うけれども、
やはり、小室さん母子も、いろんな思い・出来事があるなかでも、
とにかく一生懸命勉強して、いい大学に進学した優秀な息子と、
その息子を大学に入れるために、必死で立ちまわって来た母親、
という関係性があるのだと見るのが、普通の庶民の情のある目線では
ないのかなあと思う。

金返せ男の言葉をそのまま垂れ流し、その肩を無条件に持つメディアが
本当に不思議だ。
「小室圭さんが、母親の別れた元男に、
『金返せ』だの『挨拶しろ』だのトコトンいびられている」
とどうして思わないの?

泉美木蘭

昭和52年、三重県生まれ。近畿大学文芸学部卒業後、起業するもたちまち人生袋小路。紆余曲折あって物書きに。小説『会社ごっこ』(太田出版)『オンナ部』(バジリコ)『エム女の手帖』(幻冬舎)『AiLARA「ナジャ」と「アイララ」の半世紀』(Echell-1)等。創作朗読「もくれん座」主宰『ヤマトタケル物語』『あわてんぼ!』『瓶の中の男』等。『小林よしのりライジング』にて社会時評『泉美木蘭のトンデモ見聞録』、幻冬舎Plusにて『オオカミ少女に気をつけろ!~欲望と世論とフェイクニュース』を連載中。東洋経済オンラインでも定期的に記事を執筆している。
TOKYO MX『モーニングCROSS』コメンテーター。
趣味は合気道とサルサ、ラテンDJ。

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